【夏目漱石×読む順番】小説とその他と全作品集めました

読む順番【文豪】

今回は夏目漱石の読む順番について紹介していきます。

夏目漱石(1867-1916)

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)に生れる。

帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学した。留学中は極度の神経症に悩まされたという。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表し大評判となる。

翌年には『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、東大を辞し、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

著者セントラル

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【夏目漱石×読む順番】小説とその他と全作品集めました

夏目漱石の全作品を刊行順に紹介します。

【1904年】従軍行

保留中です。

【1905年】吾輩は猫である


吾輩は猫である

明治期の文学者、夏目漱石の最初の長編小説。初出は「ホトトギス」[1905(明治38)年〜1906(明治39)年]。1905年10月上篇が刊行されると20日間で売り切れたという。中学教師の珍野苦沙弥の家に飼われる、名前のない猫「吾輩」の目で、珍野一家とその周囲に集まる人々や「太平の逸民」の人間模様を鋭く風刺し、笑いとばす。落語のような語り口に乗せたユーモアは多くの読者を集め、夏目漱石の小説家としての地位を確立する記念碑的な作品となった。(Amazonより)

【1905年】倫敦塔


倫敦塔

明治期の文学者、夏目漱石の初期の短編小説。初出は「帝国文学」[1905(明治38)年]。漱石は文部省留学生として1900(明治33)年10月から1902(明治35)年12月までの2年間、ロンドンに留学した。ロンドン到着の3日後に見物したロンドン塔を題材にした作品。ロンドン塔は17世紀までは王室の城の一つだったが、歴史上は監獄として知られる。塔内をめぐりながら、そこに幽閉され殺されたエドワード四世の王子たちやジェーン・グレーを幻想的に描いている。(Amazonより)

【1905年】幻影の盾


幻影の盾

明治期の文学者、夏目漱石の初期の短編小説。初出は「ホトトギス」[1905(明治38)年4月。同じ年に発表された「薤露行」とともに、ヨーロッパ中世の騎士物語。白城の騎士ウィリアムと夜鴉城の姫クララとの遠き世の悲恋の物語だ。二つの城が戦闘状態になり、追い詰められたウィリアムは呪力を持つという「幻影の盾」を一心不乱に見るうちに南国の海辺でクララと再会する。これは盾の中の世界であり、ウィリアムは盾である、という幻想の盾の二重構造によってウィリアムは生きのびる。(Amazonより)

【1905年】琴のそら音


琴のそら音

明治期の文学者、夏目漱石の初期の短編小説。初出は「七人」[1905(明治38)年]。法学士の主人公が久しぶりに友人の津田を訪ねる。主人公の婚約者がインフルエンザだと聞くと、幽霊を研究している津田は最近インフルエンザから肺炎になって死んだ親戚の若い女性の魂が出征中の夫に会いにいった話をする。不安になった主人公に帰り道で出合う子供の棺桶を担ぐ一団や犬の遠吠えの声が追い打ちをかけるが、翌朝早く婚約者の家を訪ねてみると、全快していた。会話を多用するスタイルが夜や死の不安と幸福や結末の対照を際立たせている。(Amazonより)

【1905年】一夜


一夜

明治期の文学者、夏目漱石の初期の短編小説。初出は「中央公論」[1905(明治38)年]。五月雨の夜の八畳の座敷で、髭のある男と髭のない男、そして涼しき眼の女の三人が夢をめぐって会話を交わし、会話は目の前に現れる一匹の蜘蛛や二匹の蟻などに移っていく。女は途中で画になったりする。そのうちに三人とも眠ってしまう。会話は俳句や漢詩のようで、漱石の低徊趣味に満ちている。何事もおこらない三人の「一夜を描いたのは彼らの生涯を描いたのであ」り、三人の素性や性格がわからないのは「人生を書いたので小説をかいたのではないから仕方がない」と結ばれる。(Amazonより)

【1905年】薤露行(かいろこう)


薤露行

明治期の文学者、夏目漱石の初期の短編小説。初出は「中央公論」[1905(明治38)年]。同じ年に発表された「幻影の盾」と同じく、ヨーロッパ中世の騎士物語。マロリーの「アーサー物語」を元にかなり小説に近いものとして改めたと前書きで断っている。円卓の騎士ランスロットとギニヴィアの禁断の愛という、後年の小説を予告するようなテーマに、一夜の宿を借りた古城の娘エレーンの純真な悲恋をからめた。タイトルは「古楽府(こがふ)中にある名」で「「人生は薤上の露の如く晞(かわ)きやすし」と申す語より来り候」という漱石自身の説明がある。(Amazonより)

【1905年】カーライル博物館


カーライル博物館

明治期の文学者、夏目漱石の初期の小説。初出は「学鐙」[1905(明治38)年]。トマス・カーライルはイギリスの思想家、歴史家。ロンドンでカーライルが1834年から亡くなるまでを過ごした旧居が博物館となっている。地上四階と地下室の真四角な建物である。イギリス留学中の漱石は1901(明治34)年8月3日にこの博物館を訪れた。四角な家の四階の屋根裏の書斎にあがり、下界の声を避けようとして叶わなかったカーライルに共感する。(Amazonより)

【1906年】趣味の遺伝


趣味の遺伝

明治期の文学者、夏目漱石の初期の小説。初出は「帝国文学」[1906(明治39)年]。1905年12月に8日間で書き上げられた。若い学者の主人公が新橋駅で日露戦争の凱旋兵士の歓迎を見て、戦死した親友を思い出す。翌日墓参りに行くと、若い美人がいて親友の好きな菊の花を供えていた。この二人の関係を祖父の代までさかのぼり「ロメオがジュリエットを一目見る、そうしてこの女に相違ないと先祖の経験を数十年の後(のち)に認識する」という、持論の「趣味の遺伝」があてはまるのを発見する。(Amazonより)

【1906年】坊っちゃん


坊っちゃん

学校を卒業した“坊っちゃん”。正義感あふれる彼は四国の中学校に英語教師として赴任することに。偽善的な大人たちを相手に坊っちゃんは大騒動を繰り広げる。作者の実体験をもとに描かれた爽やかでユーモアあふれる作品。(「BOOK」データベースより)

【1906年】草枕


草枕

―山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい―。俗世から離れようと旅をする画家は、山中の温泉宿で那美という美しい女に出会う。シリーズ百万部超のベストセラー『神様のカルテ』に大きな影響を与えた名作中の名作を、新版としてフルリニューアル。分かりやすい新注釈付き、文字が大きくて読みやすい新しい『草枕』の誕生。(「BOOK」データベースより)

【1906年】二百十日


二百十日

明治期の文学者、夏目漱石の小説。初出は「中央公論」[1906(明治39)年]。二人の青年、圭さんと碌さんが二百十日に阿蘇山の噴火口をめざすが、折からの風雨のなか、碌さんは足じゅう豆を作り、圭さんは穴に転落して生づめをはがしてその日は断念、翌日ふたたび頂上を目指す。金力や威力で同胞を苦しめるやつらを叩きつぶそうと、文明の革命を目指す「二人の頭の上では二百十一日の阿蘇が轟々(ごうごう)と百年の不平を限りなき碧空(へきくう)に吐き出している」。軽妙な会話と風景描写に特色がある。(「Amazon」より)

【1907年】野分


野分

明治期の文学者、夏目漱石の小説。初出は「ホトトギス」[1907(明治40)年]。野分とは秋から冬にかけて吹く暴風や台風のこと。「白井道也は文学者である」と始まるこの小説は、野分の烈しい風にたとえた文明批評を漱石の分身である文学者に託した作品。道也は貧しさや孤独と闘いながら「人格論」を書いたり、「現代の青年に告ぐ」と題する演説をぶったりする。堕落する青年への警鐘、金力と権力への敵意、理想や道の必要性の主張は漱石の思想の核である。(「BOOK」データベースより)

【1907年】文学論


文学論 (上) (岩波文庫)

一九〇三年苦しいロンドン留学から帰国した漱石は帝大で教壇に立つ。後の文豪の世界文学との邂逅は近代日本に何をもたらしたか。一見難解な外観、厖大な引用、苦渋とユーモアの口調に漲る文学修行の精華。西洋と日本をつなぐ迫力満点の講義録。(「BOOK」データベースより)


文学論 (下) (岩波文庫)

のっけから公式F+fなどと、強面の文学講義。Fは認識の焦点や事実、fは情緒で、合せて文学の内容だと言うのだが、後半は表現の関係や聯想・語法を探り、豊富な実例でもって文学の面白味を解明。世界文学を読む視点から書く方法へと導いていく。(「BOOK」データベースより)

【1907年】虞美人草


虞美人草

明治四十三年、朝日新聞に入社した漱石が職業作家として書いた第一作。我意と虚栄をつらぬくためには全てを犠牲にして悔ゆることを知らぬ女藤尾に超俗の哲学者甲野、道義の人宗近らを配してこのヒロインの自滅の悲劇を絢爛たる文体で描く。(「BOOK」データベースより)

【1908年】坑夫


坑夫

明治期の文学者、夏目漱石の長編小説。初出は「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」[1908(明治41)年]。前年11月下旬に漱石を訪れた青年が語った足尾銅山での坑夫生活からヒントを得た。入り組んだ恋愛関係から逃れるために家を出た主人公は自滅したいと望み、ポン引きから誘われるままに鉱山へ。坑夫の生活に衝撃を受け、地底では生死の間を彷徨するが、気管支炎の診断を受け、飯場での帳付けを五ヶ月間勤めたのち、鉱山を去る。素材の異質さが際立つ作品。(Amazonより)

【1908年】文鳥


文鳥

明治期の文学者、夏目漱石の最初の小品。初出は「大阪朝日新聞」[1908(明治41)年]。「坑夫」と「夢十夜」の間に書かれた幻想的な小品。漱石は1907(明治40)年に早稲田南町へ転居したが、その新居で鈴木三重吉にすすめられ、文鳥を飼うことにした。文鳥は「淡雪の精のよう」に美しく可憐で、美しい女を思い出させる。冬の日の午後、文鳥は餌のなくなった籠の底で二本の足をそろえて死んでいた。(Amazonより)

【1908年】夢十夜

【1908年】三四郎


三四郎

大学入学のために九州から上京した三四郎は東京の新しい空気の中で世界と人生について経験を重ねながら成長してゆく。一見何の変哲もない教養小説と見えるが、ここには一筋縄では行かぬ小説的企みがたっぷり仕掛けられているのだ。(「BOOK」データベース)

【1909年】永日小品


永日小品

明治期の文学者、夏目漱石の小品集。初出は「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」[1909(明治42)年]。「三四郎」と「それから」の間の時期に書かれた。1910(明治43)年に「四篇」(春陽堂)に収録されるとき、「元日」と「クレイグ先生」が加えられて全25編の今の形となった。身辺に題材をとったもの、ロンドン留学時代を回想したものなど短編小説からエッセイまで、漱石のさまざまなアプローチの掌編を味わえる。(Amazonより)

【1909年】文学評論


文学評論 上 (岩波文庫)

英文学者・漱石が「18世紀英文学」のテーマで行なった講義。漱石は日本人としての主体性を鋭く自覚し、また堂々と貫きながら18世紀イギリスの作家と作品に、そうしてその背景をなす社会に切り込んでゆく。外国文学に関心をもつあらゆる人の必読書。(「BOOK」データベースより)


文学評論 下 (岩波文庫)

下巻では、スウィフト、ポープ、デフォーがとり上げられる。なかでもスウィフト文学の諷刺の特質を『ガリヴァー旅行記』の分析を通じて論じたくだりは圧巻である。(「BOOK」データベースより)

【1909年】それから


それから

若き大助は義侠心から友人平岡に愛する三千代をゆずり自ら斡旋して2人を結びあわせたが、それは「自然」にもとる行為だった。それから3年、ついに大助は三千代との愛をつらぬこうと決意する。「自然」にはかなうが、しかし人の掟にそむくこの愛に生きることは2人が社会から追い放たれることを意味した。(Amazonより)

【1909年】満韓ところどころ


満韓ところどころ

明治期の文学者、夏目漱石の紀行文。初出は「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」[1909(明治42)年]。当時の南満洲鉄道株式会社総裁の中村是公に招待されて、1909年(明治42)年9月2日から10月17日まで満洲と朝鮮を旅行したときの紀行。大連、旅順、熊岳城、営口、湯崗子、奉天、撫順、長春、ハルピン、平壌、京城を訪れたが、連載中に大晦日を迎え、「二年に亘るのも変だから」という理由で撫順で中断されている。(Amazonより)

【1910~1911年】思ひ出すことなど


思い出す事など

明治期の小説家、評論家、英文学者である夏目漱石の随筆。初出は「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」[1910年(明治43)年]。「門」を書き終えた1910年(明治43)年6月、漱石は胃潰瘍のため長与胃腸病院に入院。夏に転地療養で行った伊豆の修善寺温泉では8月24日に大吐血を起こして生死をさまようことになった。10月11日に帰京後、ふたたび長与病院に入院。ほどなく連載が始まったこの作品は「ようやくの事でまた病院まで帰って来た」と始まり、修善寺での「三十分間の死」の記憶へと時間軸を逆に向かう。(Amazonより)

【1910年】門



明治の東京。崖下の借家でひっそり暮らす宗助とお米夫婦。お米はかつて親友の安井から奪った女性だ。後ろめたさを抱えて、孤独をわけあうように暮らす二人の生活に、叔父の死と不才覚から発した弟の学資問題など、少しずつさざ波が立ち始めた。そしてある日、大家から思いがけず安井の名を聞き、激しく動揺した宗助は、考えあぐねて禅寺の門をくぐる。『三四郎』『それから』に続く三部作の完結編。(「BOOK」データベースより)

【1911年】現代日本の開化


現代日本の開化

明治期の文学者、夏目漱石の講演筆記。大阪朝日新聞社の依頼で関西・中国地方でおこなわれた連続講演会の二番目のもの。本文はじめに「1911(明治44)年8月和歌山において述」とある。西洋の開化が「内発的」であるのに対して、明治維新以後の日本の開化は「外発的」であることを漱石は自分自身のこととしても認識し、「出来るだけ神経衰弱に罹らない程度において、内発的に変化して行く」ことだけが消極的な対処法だという「苦い真実」を明らかにしていく。文明批判であり社会批判でもある。(Amazonより)

【1912年】彼岸過迄


彼岸過迄

明治期の文学者、夏目漱石の長編小説。初出は「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」[1912(明治45)年]。続く「行人」「こころ」とあわせ後期三部作とされる。修善寺で生死の間を彷徨い、五女のひな子の急死などに直面したあとの小説。人間の心の奥の苦悩と愛の不毛を描く。主人公の川田敬太郎が聞き手としてさまざまな登場人物を引き出す6編の短編と「結末」からなる。長編小説の新しい手法の先駆と位置づけることができる。(Amazonより)

【1912年】行人


行人

明治期の文学者、夏目漱石の長編小説。初出は「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」[1912(大正元)年〜1913(大正2)年]、「友達」「兄」「帰ってから」の後で胃潰瘍のために中断。続く「塵労」は1913(大正2)年9月16日から11月15日まで、計167回の連載となった。行人とは旅人のこと。一郎にとってお直との夫婦関係の苦悩は弟次郎が関わることによって「死ぬか、気が違うか、夫でなければ宗教に入るか」という人間の存在の苦悩そのものへと深まっていく。(Amazonより)

【1914年】私の個人主義


私の個人主義

明治期の文学者、夏目漱石の講演筆記。初出は「孤蝶馬場勝弥氏立候補後援現代文集」[実業之世界社、1915(大正4)年]。本文のはじめに「1914(大正3)年11月25日学習院輔仁会にて述」とある。将来権力と金力を手にするはずの学習院の学生を前に、漱石は「自己本位」という立脚地を得た経歴から、「個人主義」について、自己の個性の発展を望むなら他人の個性も尊重し、自己の権力や金力を使うならそれに伴う義務や責任を重んじなければならないと説く。(Amazonより)

【1914年】こゝろ


こゝろ (角川文庫)

「自分は寂しい人間だ」「恋は罪悪だ」。断片的な言葉の羅列にとまどいながらも、奇妙な友情で結ばれている「先生」と私。ある日、先生から私に遺書が届いた。「あなただけに私の過去を書きたいのです…。」遺書で初めて明かされる先生の過去とは?エゴイズムと罪の意識の狭間で苦しむ先生の姿が克明に描かれた、時代をこえて読み継がれる夏目漱石の最高傑作。解説、年譜のほか、本書の内容がすぐにわかる「あらすじ」つき。(「BOOK」データベースより)

【1915年】硝子戸の中


硝子戸の中

明治期の文学者、夏目漱石の最後の代表的な随筆。初出は「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」[1915(大正4)年]。「こころ」と「道草」の間であり、胃潰瘍で体調不良の時期に書かれた。漱石自身である「私」は自宅の書斎という硝子戸の中にいる。その内側から眺める世界やさまざまな人々との関係、また幼いころの思い出などが生と死、過去と現在をめぐる短いエピソードとして表出されている。(Amazonより)

【1915年】道草


道草

明治期の文学者、夏目漱石の長編小説。初出は「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」[1915(大正4)年]。完成された最後の作品。健三という知識人の主人公は夫婦関係や養父母との金銭のからんだ葛藤から神経衰弱になる。金銭問題が片付いたあとも「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない」と苦々しく言う。イギリス留学から帰国して「吾輩は猫である」を書くころまでの漱石自身の身辺に起こった出来事を題材としていることから、もっとも自伝的要素の強い作品といわれる。(Amazonより)

【1916年】明暗


明暗

明治期の文学者、夏目漱石の未完の長編小説。初出は「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」[1916(大正5)年]。漱石の死によって中断した。わずか十日ほどの時間の出来事を書いて、未完でありながら漱石最大の長編となった。主人公津田を中心に、わずかな期間におけるごく狭く平凡な生活の中に多くの登場人物を配置し、これまで漱石が主題としてきた社会、家族、愛、金銭、我執、孤独などを構造的に取り込んだ漱石文学の集大成。(Amazonより)

【1917年】漱石俳句集


漱石俳句集 (岩波文庫)

漱石は親友子規の感化で俳句をつくり生涯におよそ二六〇〇句を残した。明治二十八~三十二年はとりわけ熱心に作句にはげんだ時期で、子規は、この頃の漱石の俳句を評して意匠が斬新で句法もまた自在だと言っている。全作品から八四八句を選び脚注を付した。(「BOOK」データベース)

【1919年】漱石詩集 印譜附


新訳 漱石詩集

漱石詩研究第一人者による翻訳文学の金字塔。漱石のなまなましい本音を解き明かした唯一の漱石詩全訳本。(「BOOK」データベースより)

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